43歳、IHAKORA PEAKへ
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今年、43歳になった。
43歳というのは、冒険や山をやる人間にとって、あまり縁起のいい年齢ではないらしい。
日本人で初めてエベレストに登頂した冒険家の植村直己は43歳で亡くなった。
1984年2月12日、43歳の時に冬のマッキンリー(6,190m)に単独登頂し、その後消息を絶った。
ヨーロッパアルプス三大北壁の冬季単独登攀を成し遂げた長谷川恒男も43歳だった。 1991年、パキスタンのウルタルII峰で雪崩に遭った。 写真家の星野道夫も43歳。1996年、カムチャツカで取材中にヒグマに襲われて亡くなった。
そして先月、また一人、世界的な登山家が43歳でこの世を去った。
ニルマル・プルジャ。世界に14座ある8,000m峰を189日間で登ったことで知られる、ネパール出身の登山家だ。 2026年7月30日、パキスタンのブロードピークで雪崩に巻き込まれ、亡くなった。
僕が2024年にエベレストを目指したときも、彼の名前は何度も耳にした。 シェルパたちと話をしていると、ごく自然に彼の名前が出てくる。それだけヒマラヤの世界では大きな存在で、多くの人に影響を与えた登山家だった。
僕自身は、彼に会ったことはない。だから本来なら、遠い世界の出来事として受け止めてもおかしくない。
それでも、彼のニュースはなかなか頭から離れなかった。
こうなると、さすがに43という数字が少し気味悪く見えてくる。
さらに具合の悪いことに、僕も今年43歳になった。
そして8月24日からパキスタンへ行く。 目指すのはカラコルム山脈にある標高6,172mのIHAKORA PEAKである。
43歳。パキスタン。カラコルム。6,000m峰。
こうして並べると、恐らく周りから見ると、ずいぶん縁起が悪い。
43歳頂点論
作家で探検家の角幡唯介さんは『43歳頂点論』という本を書いている。
かなり影響を受けた本の一つである。
彼が書いたブログを妻が読んだことで、妻が僕の尻を叩き、40歳でエベレストを目指すことになった。
そういうこともあって角幡さんには感謝している。
なぜ植村直己、長谷川恒男、星野道夫といった人たちは、そろって43歳で亡くなったのか。
もちろん「43」という数字に呪いがかかっているという話ではない。
人間は歳を取れば体力が落ちる。一方で経験は増える。
技術も判断力も上がり、若い頃にはできなかったことができるようになる。
つまり身体は下っているのに、経験はまだ上っている。その二本の線が交差するあたりに、人間の冒険者としての頂点があるのではないか。そして、そのあたりが一番危ないのではないか。
大雑把に言えば、そういう話だ。
確かに43歳の身体は20歳の身体じゃない
僕自身、大学4年まで体育大学の陸上競技部で毎日限界まで身体を酷使していた。
あの時の身体と比べると関節は固くなっているし、身体も重く感じる、山に登ると動悸息切れを起こす。
43歳という年齢を無視するつもりはない。
ただ、「43歳だから危ない」と言われると、ピンとこない。 42歳と43歳と44歳で何が違うのだろうか。
昔から、根拠のない話は信じることができない。
占いも迷信もそうだし、雨男雨女だってそうだ。
「この歳になったらこうした方がいい」という人生訓の類も苦手である。
事故は起こるときは起こる。
これはもう、そういうものだと思っている。
だからといって、「年齢なんて関係ない」と言うつもりもない。
43歳という数字に呪いはないが、43歳の身体は衰えは存在する。
以前よりも体力が落ちているなら、それを前提に準備すればいい。
回復が遅いなら、そのぶん余裕を持てばいい。高度に順応するのに時間が必要なら時間をかける。
体調が悪ければ止まる。危険だと思えば引き返す。
自分が43歳であることは認める。
でも、43歳という数字で自分の行き先を決めるつもりはない。
43歳の壁
むしろこの年になって厄介だと思うのは、体力の衰えではない。
この歳になると、やらない理由がいくらでも出てくる。
仕事が忙しい。時間がない。体力も落ちた。無理をする歳ではない。
長く生きたことで、変な知恵をつけて脳は賢くなっている。
20代の時は「行きたいから行く」で済んだ話だが、この年になると立派な理由をつけて行かなくしようとする。
経験とは危険を避けるための知恵なんだけど、使い方によっては人生そのものを避けるための知恵にもなってしまう。
僕には、そちらの方が怖い。
もしかすると43歳の壁とは「もういいんじゃないか」と自分に問い始める壁なんじゃないだろうか。
好奇心にも寿命はあるのか
もう一つ、歳を取ると厄介なことがある。
世界を知った気になるということ。
43年生きてきて、それなりにいろいろなものを見てきた。エベレストの頂上にも立った。
いろいろな場所へ行き、新しいものを見ても「ああ、こういう感じね」と過去の経験のどこかに分類できるようになっている。
便利ではあるんだけど、この「ああ、これね」が増えすぎると、世界はだんだんつまらなくなる。
だから最近、体力が落ちることより、こちらの方が怖いと思っている。
僕は何歳まで、知らないものを見たいと思えるのだろうか。
なぜIHAKORA PEAKなのか
では、なぜ僕はカラコルム山脈のIHAKORA PEAKへ行くのか。
43歳の壁を越えるためじゃないし、まだやれると証明したいわけでもない。
誰かに勝ちたいわけでもないし、自分の限界に挑戦したいというわけでもない。
とても単純である。
見たいから行く、それだけだ。
カラコルムの奥に、自分がまだ知らない景色がある。それを自分の目で見てみたい。
そのためには歩かなければならないし、高度に身体を慣らし、寒さに耐え、息を切らして登らなければならない。
競争心ではなく、好奇心に導かれて歩く。
43歳、いろいろなことを知り、あれこれ考えてしまう年齢だからこそ、自分の欲には忠実でいたい。
あの山の向こうへ
多くの偉大な冒険家や登山家が43歳でこの世を去った。
僕は冒険家や登山家じゃないし、常に限界に挑戦してきた人間ではない。
そんな僕でも少しは考える。
あと16日後にカラコルム山脈へ向かうのだから、何も感じないと言えば嘘になる。
でも、それは僕が山を諦める理由にはならない。
山に絶対の安全はないし、準備しても事故は起こる。だから準備しなくていい、という話ではない。
43歳の身体であることを認めて、しっかりと準備をする。
そして今の自分に合った一歩を重ねていきたい。
8月24日、パキスタンへ向かう。
43歳の壁が本当にあるのかは分からない。
この年だからこそ感じられるものがあるのかもしれない。
IHAKORA PEAKの山頂へ。 その向こうに何があるのか、見てこようと思う。
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