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教室と落書き

Bhutan

 

 

ヒマラヤの小国ブータン。推し進められる近代化で、そこに住む人々のライフスタイルと価値観の変容が著しい。この国と出会い、教員として写真家として関わり続けた13年。ブータンの学校現場で感じた違和感を深掘りしていった。その先に見えたほんの少しの希望は、ストリートの素朴な落書きの中に見つけることができた。

 

チャンスをくれ

ただチャンスをくれ

おれがほしいのはチャンスだ

おれには才能がある

おれには情熱もある

吹かせるんだ、変化の風を

 

 この詩は2015年~2017年頃、ブータンで多くの若者たちの心を動かし、流行したラップミュージック“GOKAB(チャンス)”のリリックである。近年、首都ティンプーを中心にヒップホップに心奪われ、自分の可能性を見出す若者たちを多く見かけるようになった。彼らを取材しようと思ったきっかけは冒頭のリリックを歌うケザン・ドルジというラッパーだった。彼とは、ぼくがブータンで教員をしていた2007年、巡回指導先の学校で出会った。

 JICA(独立行政法人国際協力機構)の青年海外協力隊員として体育普及活動をするために派遣された先は、首都から車で3日ほどかかる超ど田舎、タシヤンツェというところだった。ヒマラヤに囲まれたその土地に住む人々は、ほとんどが農業と牧畜を営んでいた。学校にはよく、牛が草を食べに迷い込んでいた。子どもたちは周辺の村々から民族衣装で学校へ通い、中には片道2時間以上かかる子もいた。まるでタイムスリップをしたかのような、おとぎの国で働くことになったのだ。ぼくの赴任先の小中学校には体育授業がなかった。体育の普及を目的に配属されたため、周辺にある学校にも巡回指導の提案し、活動していた。歩いて30分のところに高校があり、そこにも週1で体育を教えにいっていた。高校生にも興味を持ってもらうため、エアロビクスやダンスを織り交ぜながら授業した。その時に出会ったのがケザンだ。当時外国人がいなかった田舎町、日本人のぼくにシャイな生徒たちは身を隠すようにしていた。そんな生徒たちに対して、ケザンは物怖じせず、ぼくにたくさん質問をしてくれた。貧しい家に生まれた彼は、勉強をして家族を少しでも楽にさせてあげたいという目的を持って学校へ通っていた。

 

 

 あれから10年という月日がたった。田舎の素朴な少年から、ブータン国内で最も有名なラッパーとなり、同時に立派なビジネスマンに成長を遂げていたケザン。ヒップホップカルチャーに沸くブータンの若者たちのこと、ぼく自身、ブータンの新たな一面に触れたいという衝動に駆られていた。

 彼が歌う”GOKAB”が若者たちから支持される理由は、現代ブータンの綻びと直結している。ブータンでは若者たちの失業率が非常に高く、大きな社会問題になっている。たとえ大学を卒業したとしても、いまのブータンには彼らを受け入れる就職口はわずかしかない。ティンプーに職を求めて上京するものの、暇を持て余す若者たちの姿は年々増えているように見えた。また、社会から必要とされず自分に迷い、薬物に手を出してしまう者が後を絶たない。毎年、薬物事犯の逮捕者1000人以上という数字が事態を物語っている。「幸せの国」として認知されて久しい桃源郷には、生き方に思い悩む多くの若者がいるというのが現実だ。

 

 その理由の一つに、教育システムが関係しているではとぼくは思っている。教鞭をとった小中学校の現場で一番驚いたことは、進学ルールだった。ブータンでは学年末テストが行われるのだが、そこで主要教科である国語(ゾンカ語)、算数、英語で赤点をとってしまうと留年することになる。非常にシビアで無慈悲な世界だ。態度がよく一生懸命がんばっている生徒でも点数が悪ければ容赦なく切り落とされる。学年の3分の1が留年したり、「この学年3回目です」なんて生徒もいた。クラス8(中学2年生)の教室に12歳の男の子と、髭をはやした20歳の男性が一緒に学んでいたことも衝撃だった。また、義務教育ではないため、生徒たちが簡単に学校を辞めていった。ドロップアウトしていく生徒たちを先生はとめることはしない。辞めていくほとんどの理由は、勉強が苦手だから、テストに落ちて進級できないから、そして家業の農家を手伝うからだった。当時の校長先生は生徒によくこんなスピーチをしていた。「勉強をしなさい。がんばって進学しなさい。その先に仕事を得ることができる。仕事を得ることができたら君たちは Somebodyになれる。しかし仕事を得られなければNobodyだ」と。その言葉はとても残酷に聞こえた。なぜなら進学して就職までこぎつけられるのは競争を勝ち抜いたほんの一握りの人間だけだからだ。学校では勉強ができることがすべての基準だった。スポーツができても、歌がうまくても進級とはまた別の話しである。

 

 ほんの何年か前は国民のほとんどが農民として暮らしていた国だ。それなのに、仕事を得られず、農家として生きていくことを決めた子たちはどこか後ろめたさを感じている。その横で競争を勝ち抜き、公務員として胸を張る若者たちがいる。横並びだったムラの社会はテストの点数で縦並びに整列させられた。1960年代から近代教育が推し進められてきたブータン。最新の教育統計によると全国に 539 ある学校に約17万人が就学している。しかし学校現場で教えられた理想を実現する環境がブータンにはまだ整っていない。近代教育の影響か、生徒たちはホワイトカラーの仕事に憧れを抱き、農業は胸を張れる仕事ではないと認識するようになってしまった。ホワイトカラー以外の道路工事や土木建設業の雇用はあるものの、それらの仕事は出稼ぎのインド人が担っている。農業は高齢者と進学しなかった者が、土木作業は外国人労働者であるNobodyがするものと感じているのだ。

 教員として働きながら「教育」の意味を何度も考えた。校長先生の理念はブータンの社会にうまく機能しているのだろうか? 教育とは人々が幸せに生きていくためのものではなかったか?知識を獲得し、知れば知るほど子どもたちは理想を描く。しかしその受け皿がブータンにはない。「幸せ」と「教育」この二つの問いはブータンで最も多くぼくの頭を悩ませた問いだった。

 

 理想とするレールから外れ、自己実現の方法に迷う若者たちが夜な夜な集まり心の霧を発散させる場となっているのが、先にも紹介したヒップホップカルチャーだ 。何者でもない自分が、何者かになれるかもしれない。資本も教養もない若者たちが、設備の整っていないストリートや公園で自分たちの手元にある最小限の能力で自分を表現しようとしている。

 掲載したイメージはブータンで頭角を表しているヒップホップ グループDruk Generationのメンバーが、ぼくの撮影した写真の上に自由にライティングしたものである。日本から来た見知らぬ写真家の提案に、意外にもすんなり、そして熱量をもって応えてくれた。見た目はやんちゃそうだが、中身はやっぱり、山奥の学校にいたまっすぐで素朴な「ブータン人」そのものだった。グループ内で相談しながら、自分たちの内側にある思いを丁寧に言葉をにしてくれていた。そこには、今の社会の不満ではなく前向きな希望の言葉が散りばめられていた。完成したイメージは彼らのプリミティブな衝動を描きつけた紛れもないアートだった。と同時に、教育によって知ってしまった情報、欲望、雑音そのものなのかもしれない。

 ブータンの社会構造を変えることは非常に難しい。彼らの夢見る先は今の現実とかけ離れた世界だ。しかし彼らの紡ぎ出された希望の言葉は、現実を変える力がある。ぼくはそう信じたい。

雑誌NEUTRAL COLORS第2号
「教室と落書き」

https://neutral-colors.com/books_post/neutral-colors-2/

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